ルポライター・明石昇二郎
「新型コロナ」と「システムトラブル」で公表が遅れた最新データ
6月14日、2018年の全国がん登録データが政府統計のホームページ「e-Stat」上で公表された。
昨年は4月24日に公表されていたので、2か月弱の遅れである。4月の時点で厚生労働省の担当課(がん・疾病対策課)に確認したところ、「新型コロナウイルス感染症の影響」とのことだった。
だが、データを確認してみると、「胃がん」データの場合、前年(17年)と比べて全国の男性では3万5391人の激減。福島県の男性でも889人減っていた。なぜこれほどまでに激減したのか。
罹患数が減るのは歓迎すべきことだが、それにしてもこの減り方は不自然過ぎる。理由として考えられそうなことは、新型コロナウイルス感染症の流行による受診控えか、あるいはWHO(世界保健機関)が国際疾病分類(ICD)を見直し、「胃がん」の分類を大幅に変更したのか――くらいのものだろう。
さらに不自然なのは、女性の「胃がん」は全国で7165人増と、増えていたことだった。福島県の女性でも30人増えていた。他の部位のがんデータも見ていくと、「罹患数」であるべきところになぜか「罹患率」のデータが掲載されているものまである。さすがにこれはおかしい――と思っていたところ、公表翌日の6月15日、「e-Stat」から2018年の全国がん登録データが丸ごと削除された。
6月16日、厚労省のがん・疾病対策課に訊いた。
「システムトラブルがありまして、それで一時的に非公表にしております。近日中に公表させていただこうと思っております」
――がんの中には「罹患数」のところに「罹患率」の数字が載っているものもありました。
「それに気づいて、変更、修正をしている」
――前年比で3万5000人も減っているがんもありました。
「データが適切なところに行かないトラブルが起きておりまして、そのためだと思います。近日中に公表するものが正しい情報なので、少々お時間をいただければ」
――ICDの疾病分類のやり方が見直されたわけではない?
「変わりはございません」
そして6月17日、18年の全国がん登録データは再公表された。ただしその際、「システムトラブル」についての説明は何もなかった。筆者がこの事実を紹介しなければ、関係者以外、誰も気づかなかったことだろう。そもそも、修正される前のデータをダウンロードしてしまった人に、大幅な修正(事実上の掲載データの差し替え)が行なわれたことを伝えなくていいのだろうか。
言うまでもなく「全国がん登録データ」は、病気のデータという究極のプライバシー情報であり、厳重な管理が要求される個人データの塊でもある。データの信頼性を担保するためにも、トラブル情報はいち早く公表し、原因についての説明責任を果たしていくことが望まれる。
福島県では7年連続で胃がんが「有意な多発」
昨年9月19日に当サイトに掲載した拙稿(「全国がん登録」最新データで判明 福島県で6年連続「胃がん多発」)(https://level7online.jp/?p=4176)に引き続き、公表された18年のデータをもとに、「全国胃がん年齢階級別罹患率」と福島県の同罹患率を比較してみた。それが【表1】である。男女ともにさまざまな年齢層で、全国平均を上回っている年齢階級が散見される。
次に、全国と同じ割合で福島県でも胃がんが発生していると仮定して、実際の罹患数と比較してみる検証を行なった。疫学(えきがく)の手法で「標準化罹患比」(略称SIR、standardized incidence ratio)を計算する方法である。全国平均を100として、それより高ければ全国平均以上、低ければ全国平均以下を意味する。
福島県の胃がんについて、08年から18年までのSIRを計算してみた結果は、次のとおり。
【胃がん】福島県罹患数 SIR
08年男 1279 88・3
09年男 1366 94・1
10年男 1500 101・1
11年男 1391 92・2
12年男 1672 110・6
13年男 1659 110・9
14年男 1711 119・3
15年男 1654 116・6
16年男 1758 116・3
17年男 1737 120・0
18年男 1685 120・0
08年女 602 86・6
09年女 640 94・2
10年女 700 100・9
11年女 736 100・9
12年女 774 109・2
13年女 767 109・9
14年女 729 109・0
15年女 769 120・3
16年女 957 139・4
17年女 778 119・6
18年女 744 118・4
国立がん研究センターでは、SIRが110を超えると「がん発症率が高い県」と捉えている。福島県における胃がんのSIRは12年以降、男女とも全国平均を上回る高い値で推移しており、最新の18年データでは男性で120・0、女性では118・4と大変高い値が記録されている。
続いて、このSIRの「95%信頼区間」を求めてみた。疫学における検証作業のひとつであり、それぞれのSIRの上限(正確には「推定値の上限」)と下限(同「推定値の下限」)を計算し、下限が100を超えていれば、単に増加しているだけではなく、確率的に偶然とは考えにくい「統計的に有意な多発」であることを意味する。
その結果が【表2】である。福島県は12年以降、7年連続で男女とも胃がんが「有意な多発」状態にある。
ちなみに、米国のCDC(疾病管理予防センター)では、01年9月の世界貿易センター事件(同時多発テロ事件)を受け、がんの最短潜伏期間に関するレポート『Minimum Latency & Types or Categories of Cancer』(以下「CDCレポート」)を公表している。これに掲載されている「がんの種類別最短潜伏期間」を短い順に示すと、
【白血病、悪性リンパ腫】0・4年(146日)
【小児がん(小児甲状腺がんを含む)】1年
【大人の甲状腺がん】2・5年
【肺がんを含むすべての固形がん】4年
【中皮腫】11年
となっている【表3】。このCDCレポートに従えば、胃がんの最短潜伏期間は「4年」である。
事故の検証作業で使われないままの全国がん登録データ
つまり、東京電力福島第一原発事故発生から4年が過ぎた2015年以降に胃がんに罹患した福島県民およそ1万人の一部は、同原発事故で放出された有害物質に晒され、健康被害を受けた人である可能性がある。しかし、そのことに気づいている当事者は、いったいどれほどいるのだろう。
福島第一原発事故が発生する以前の2010年までは、福島県民の胃がんSIRは全国平均と同等か、それ以下だった。その〝超過分〟に当たる胃がん患者は原発事故の被害者かもしれないという観点から、事故と発がんの相関関係や因果関係が検証されることが切に待たれる。
代表的な発がん性物質として知られる放射性物質を大量に環境中に撒(ま)き散らした結果、原発事故の国際評価尺度(INES)で過去最悪の「レベル7」と認定された福島第一原発事故。その検証作業では、これまで筆者らが行なってきた一連の検証記事を唯一の例外として、全国がん登録データがなぜかまったく使われていない。我が国におけるがん研究の〝総本山〟的存在である国立がん研究センターからも、原発事故と発がんとの因果関係を肯定する声、否定する声のいずれも聞こえてこない。福島県当局が事故以来、実施している「県民健康調査」でも、全国がん登録データはなぜか利用されていない。
研究機関が何もやらないのなら、代わりに我々が検証するので、市町村単位のがん登録データを公表、あるいは提供してほしい。国会議員や県会議員等の政治家が一声かければ簡単に実現する話である。
現在公表されているのは都道府県単位のデータであり、市町村単位のがん登録データが公表されれば、すでに公表されている放射性物質の濃度別汚染マップと重ね合わせることで、原発事故と「胃がん多発」との相関関係や因果関係が、より明確に浮かび上がってくる可能性がある。
だが、市町村単位のがん登録データは今日に至るまで公開されていない。その結果、原発事故で放出された有害物質に晒されたことで健康被害を受けた人は、これまで一人もいないことにされている。
甲状腺がんの「有意な多発」事態は収束したのか
次に、若年層における多発が懸念されている甲状腺がんを検証する。CDCレポートに従えば、その最短潜伏期間は大人で「2・5年」、子どもで「1年」である。
甲状腺がんの年齢階級別罹患率と、それから弾き出した年齢階級別罹患数を【表4、5】として示す。福島第一原発事故から7年が過ぎた18年も、若年層で甲状腺がんが確認されており、女性においては10~14歳の年齢階級で2人、15~19歳の年齢階級と20~24歳の年齢階級でそれぞれ7人確認されている【表5】。
福島第一原発事故以前の福島県は、男女ともに甲状腺がん罹患率が大変低く、例年、全国平均の推計値を大きく下回っていた。それが同原発事故2年後の13年以降、男女ともに甲状腺がん罹患率が全国平均を上回るようになり、全国の罹患数が急増していた16年の女性を除き、その傾向は17年まで続いていた。
甲状腺がんのSIRとその「95%信頼区間」を求めた結果が【表6】である。14年の男性と15年の女性で「有意な多発」状態にあったことがわかる。いずれも、同原発事故が発生した11年から、甲状腺がんの最短潜伏期間「2・5年」を経過している年である。
最新18年の福島県の甲状腺がんは、男女ともに罹患数も罹患率も減少した。ただし、それはあくまでも福島県全体で見た場合の話であり、翌年以降の推移はこれまでと同様、データをもとに確認していくほかない。それに、市町村単位のデータを検証すれば、地域に偏りが見られたり、特定の地域に集中していたりすることが顕在化する可能性もある。
全国がん登録データによる点検作業を一切しないまま、原発事故によるがん発生を頭ごなしに否定しようと試みる科学者諸氏もおられるが、そんな彼らこそ自らの主張を裏付けるため、市町村単位のがん登録データを大いに活用してほしい。
前立腺がんと胆のう・胆管がんでも「有意な多発」が続く
昨年の特集記事(https://level7online.jp/?p=4176)では割愛したが、悪性リンパ腫と白血病に関しては、多発の傾向は確認されなかったものの、もともと低かったのが全国レベルに近づいてきているのが気になるところだ(【表7】【表8】参照)。
最新18年のデータでも異常が続いていることが確認されたのは、前立腺がんと、胆のう・胆管がんである。CDCレポートに従えば、これらはいずれも「固形がん」に分類されるもので、最短潜伏期間は「4年」である。
前立腺がんは、12年の男性で「有意な多発」が確認され、翌13年に減少に転じて多発状態はいったん解消されたものの、最短潜伏期間を過ぎた16年と17年、そして最新データの18年で「有意な多発」が確認された。これで3年連続の「有意な多発」となった。罹患数も急上昇したまま、1600人前後で高止まりしている(【表9】)。
胆のう・胆管がんは原発事故以前の10年の男性と、09年の女性で「有意な多発」が確認されていた。最短潜伏期間の「4年」を過ぎている16年以降は、男女ともに「有意な多発」が確認された。男性は3年連続、女性は5年連続である(【表10】)。
最後に、卵巣がんについて。最短潜伏期間は「4年」である。4年以内の13年と14年で「有意な多発」が確認されたものの、それ以降はSIRでも全国平均を下回っている。ただ、県内の罹患数が微増しているのが気になるところだ(【表11】)。
国や福島県は公害の発生を隠蔽するつもりなのか?
疫学と因果推論などが専門の津田敏秀・岡山大学大学院教授に、これらのデータを見てもらった。津田教授は語る。
「広島・長崎の被爆者データにおいては、被爆後のがんの発生率調査は、原爆投下の13年後から始まりました。1970年代まではがんの発生率増加は明瞭ではなかったようですが、その後、増加が続いています。最近でも、動脈硬化症、乳がん、子宮がんの増加の報告が相次いで発表されてきています。
福島県内で行なわれている超音波エコーを用いた甲状腺検診でも、経過観察に回されたなどの理由で過小評価されているようですが、いまだに予測数を大きく上回る数の甲状腺がんが検出されています。しかし過剰診断という、エビデンス(根拠)がない主張により、検出数の地域差があるにもかかわらず、青年期の甲状腺がんの患者さんは放置され続けています。
福島県は、これだけの異常事態が明らかになってきているのに、相変わらず専門家を交えた科学的エビデンスに基づいたオープンな議論をしようとはしていません。議論だけでなく、実際の調査もほとんど手付かずです。
約180万人の県民(21年6月1日現在)を擁する福島県が、『風評被害』を気にするあまり、沈黙を続けるのは、かえって『風評被害』をかき立てるだけでなく、行政から生じた倫理的な問題が取り上げられ始めるでしょう。
今後、大規模な健康影響が生じた際の備えとするためにも、私たちは、原子力災害の際の健康影響を評価する仕組みを法制化して整備するとともに、地域保健法第七条を根拠にして、各保健所を中心とした健康影響調査を推進していくべきではないでしょうか」
*
地域保健法の第七条はこう定める。
第七条 保健所は(中略)地域住民の健康の保持及び増進を図るため必要があるときは、次に掲げる事業を行うことができる。
一 所管区域に係る地域保健に関する情報を収集し、整理し、及び活用すること。
二 所管区域に係る地域保健に関する調査及び研究を行うこと。
三 歯科疾患その他厚生労働大臣の指定する疾病の治療を行うこと。
四 試験及び検査を行い、並びに医師、歯科医師、薬剤師その他の者に試験及び検査に関する施設を利用させること。
国が法律に基づき整備した全国がん登録データを、原発事故による国民への健康影響評価で利用せず、福島県当局も、地域保健法に基づく「地域保健に関する調査及び研究」を行なわないまま、
〝原発事故による健康被害を受けたものは一人もいない〟
と結論付けようとするのなら、それはもはや公害の隠蔽に他ならない。
政府や福島県当局が、福島第一原発事故による健康被害の顕在化を妨げている――との汚名は、今も雪(そそ)がれないままだ。